引き続き、フジファブリックの楽曲「星降る夜になったら」(作詞:志村正彦、作曲:金澤ダイスケ+志村正彦)についての話です。
1番、2番と歌詞や演奏・アレンジ面を見ながら物語を辿ってきたところで前編を終えていました。改めて記事を読み返すと、「~かもしれない」「気がします」「~でしょうか」という言い回しの目立つこと。本当に解釈の幅の広い曲なのだと思います。
ただ、折角この曲についてこういうブログでお話しするからには、多少独りよがりな見解を書いても良いかなと思っているので、後編では前編よりもその傾向が強くなるかもしれません。笑
あくまでもいちリスナーの想像だということを先にお断りしておきます。
それでは前回の続き、間奏部分からみていきましょう。
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自分の夢の続きのような光景を目の当たりにして「何かが変わ」る予感を抱き、「期待をし」ながらも、まだ結局は何もできないままでいる主人公。
そんな主人公の上には満天の星空が広がり、星々の光が降り注ぎます。
2番に続いて流れてくる間奏のシンセサイザーの音。流星群の到来か、あるいは星々の間を駆け抜けていくような、眩しくてエネルギーに満ちた音です。それを支えるドラムの疾走感、ギターの推進力、弾む鼓動のような4分音符を刻むベース、全ての楽器の音があわさって「輝く夜空」を現出させます。
その音がまた唐突に止み、それまでと違うメロディが登場します。
黙って見ている 落ちてくスーベニア
フィルムのような 景色がめくれた
そして気づいたんだ 僕は駆け出したんだ
「黙って~スーベニア」のところでは歌のバックにはピアノのみで、間奏との対比もあって場面の変化が強調されます。主人公の思い描いていた「星降る夜」のまばゆい空から、主人公自身にすっと焦点が移るかのようです。このCメロでハッと我に返る感覚を聴き手も抱きます。
「スーベニア(souvenir)」は、一般的には「土産」「記念品」といった意味で用いられるほか、「形見」、まれに「思い出」といった意味も持つ単語です。フランス語で同じ綴りの動詞 "souvenir" は「思い出す、覚えている」という意味を表します。ここでいう「スーベニア」が何を指しているのかははっきりとはわかりませんが、主人公にとって何かを思い出すきっかけとなるものであることは確かだと思います。「星降る夜」という表現と関連付けるなら、「流れ星」がきっかけとなって主人公は何かを思い出したという解釈もできそうです。
やや話が逸れますが、志村さんの曲で「夏」に関するものであって「記憶」と関連付けられているものというと、「若者のすべて」があります。
最後の花火に 今年もなったな
何年経っても 思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
(「若者のすべて」作詞・作曲:志村正彦)
ここでは「最後の花火」に思いを馳せて、主人公は何かを(おそらくはかつての恋人か想い人を)思い出しています。そして「ないかな ないよな」と言いながらも「会ったら言えるかな」とほんの少し再会への期待をのぞかせているのです。「若者のすべて」と「星降る夜になったら」とで、主人公が抱いている感情は、必ずしも同じではないとしても相似形であるのかもしれません。
話を「星降る夜になったら」のCメロに戻しましょう。
「フィルムのような」から再びピアノ以外の楽器も加わり、同じCメロの中で曲調が切り替わります。
「フィルムのような 景色」というと、平面的な景色、あるいは映画のように画面の中の景色ということでしょうか。いずれにしても現実味のない、自分とは関係のないというような意味合いに思われます。それが「めくれた」ことで、主人公の前には今までと違う光景が広がったはずです。つまり、そこには現実の光景、自分自身がその中で進んでいくべき光景があった。
「そして気づいたんだ 僕は駆け出したんだ」――ここへ来てようやく「僕」という一人称が登場します。この曲の中で人称代名詞が出てくるのは後にも先にもこの一度だけです。(ちなみにこの点でも「星降る夜になったら」と「若者のすべて」は共通しています。)
何に「気づいた」のか、具体的にはわかりません。ただ、それ以前の部分から繋げて読むとすると、「落ちてくスーベニア」を見て「覚めた夢(=かつて諦めた夢・理想、本当は叶えたいこと)」を思い出し、その結果、自分がいま見ている光景が「平面的で現実味のないもの」ではなく、「その中で自分が生きていくべき現実のもの」になった。そして、この現実の中で、ほかでもない自分自身=「僕」が誰か(何か)を「迎えに行」かなくてはならないと気付いた、と解釈できるように思います。
駆け出した「僕」に呼応するように上っていく鮮やかなピアノの音。
1番や2番ではBメロの最後のベースの音をきっかけにしてサビに飛び込んでいくような構成になっていましたが、ここではバンドの音が一体となったままクライマックスへ向かっていきます。「僕」自身が現実の中で「変わっ」たのですから、もう夢の中のイメージも、変化を予感させるベースの音も必要ありません。この大サビへの流れは非常にドラマチックです。
そして、1番、2番のサビの歌詞が繰り返されます。
歌詞だけを見るとそれぞれ1回目に歌われた時から変化していないようにも思えますが、例えばひとつ目のサビの「振り向かずに街を出るよ」からそのまま間を置かずにふたつ目のサビを歌い出す流れには、1番、2番にはなかった力強さが感じられますし、最後の「星降る夜を見ている」以降の部分ではそれまでの3回のサビとアレンジが異なる部分があり(ベースとオルガンが大きく変わっています)、クライマックスに相応しい盛り上がりを演出するとともに、「夢の続き」への期待を裏付けるような高揚感をもたらしています。1番や2番ではまだ頭の中でストーリーを思い描くだけだった主人公は、ここでは現実にその続きを描こうとしているのかもしれません。「期待」は外に対して向けられただけのものではなく、それを実現しようとする自分にも向けられたものになったのです。
とはいえ、「僕」は相変わらず「言葉の先を待って」いて、それを知ることができるのか、「夢の続き」が現実となったのか、歌詞の上では最後までわかりません。
それでも大サビの後、イントロと同じギターリフが響くエンディング、勢いよくジャンプして着地するような最後の一音を聴いて、聴き手である私も、ここからようやく何かが始まるのではないかという期待を抱いてしまうのです。
蛇足にはなりますが、アルバム『TEENAGER』から約1年後にリリースされたシングル「Sugar!!」では、次のように歌われています。
本当はこの僕にだって 胸張って伝えたい事がね
ここにあるんだ
空をまたいで 君に届けに行くから待ってて
全力で走れ 全力で走れ 36度5分の体温
上空で光る 上空で光る 星めがけ
(「Sugar!!」作詞・作曲:志村正彦)
アルバム『TEENAGER』から続けてこの「Sugar!!」を聴くとき、私にはこれが、「星降る夜になったら」の主人公が自ら実現させようとする「夢の続き」であるように思えてならないのです。
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これで「星降る夜になったら」の歌詞、メロディ、アレンジについてひと通りみてきたことになります。
ここから読み取ることができたのは、「何かが変わ」る予感に「期待をして」いた「僕」が、「夢の続き」をみるために自分が現実の世界で動かなくてはいけない、誰か(何か)を「迎えに行」かなくてはいけないと気づいて駆け出すまでの物語ということになりそうですが、前編でも挙げた大きな疑問がまだ残っています。
それは、主人公が迎えに行こうとしているのは誰(何)なのか、乗ろうとしているバスはどこへ向かうのかということです。
ここから先は完全に筆者の勝手な想像でしかないので、あまり真剣に受け止めずに読んでいただければと思います。
まず、前編でも少し触れたバスについてです。この曲の作詞者である志村さんの地元・富士吉田から東京都内まではバスが走っています。
自身の生まれ故郷と、いまの自分がミュージシャンとして活動している東京とを結ぶ乗り物。志村さんにとって「バス」というもののイメージがそこに根差しているとしたら、それは「現実と夢」あるいは「過去と現在」を架橋するモチーフとして、ある意味リアリティを持ったものだったのかもしれません。
それではそのバスはどこへ向かったのか。そして、「迎えに行く」対象は誰(何)なのか。
前編の最初に書いたように、歌詞を素直に読むならば「迎えに行く」対象は誰か特定の人(おそらくは主人公が思いを寄せる相手)で、この曲はラブソングだという風に考えることもできます。そう読んでも全体の流れには何の問題もないはずです。
ただ、やはり歌詞の中でそれを確信できるような表現がないことや、「何かが変わって」「覚めた夢の続き」「スーベニア」という表現から、「誰かを迎えに行こうとする物語」に仮託された別の物語の存在が推測されます。
ここで、この曲ができた背景にもう一度目を向けてみたいと思います。前編で簡単に紹介したインタビューの本文を、少し長くなりますが引用します。「星降る夜になったら」制作時のお話です。
志村「もうどんよりどよどよ。地の果て、地獄の底みたいな曲ばっかりで」
志村「だから、俺がどんよりどよどよを抜け出したのもダイちゃんのおかげなんだよ。みんなのおかげなんだよ。それがバンドとしてあるんです、4人だから」
(『ロッキング・オン・ジャパン』2008年2月号、p.129.)
志村さんが「暗い曲」ばかり作っていた時期というのは2006年頃のことだと考えられますが、当時を振り返ってのインタビューではほかのところ(志村正彦『東京、音楽、ロックンロール 完全版』p.161.など)でも、「曲ができなかった」という発言が見られます。そのような状態になっていたところに、この「星降る夜になったら」の原型を金澤さんが作ってきたことは、志村さんにとってまさしく「何かが変わ」る契機になったのかもしれません。
志村さんは上と同じ『JAPAN』のインタビューで次のようにも話しています。
「 "星降る夜になったら” は……もちろん自分の姿、歌詞書いてるからあるんですけど、金澤くんが作曲したから、メロディと金澤くんの姿を想像して〔中略〕自分の曲だったらなんとでもするんですけど、自分の曲じゃないときにはすっごい慎重に、その人のイメージを……だから別に作詞俺じゃなくていいんですよ、クレジット。金澤くんでもいいってぐらい、その人を映した自負はあるし〔中略〕メンバーをちゃんとイメージして、それで自分もこういうこと言える自分なんだなって」
(『JAPAN』p.129.)
他のメンバーの作った曲に対する作詞を通じて、「自分もこういうこと言える自分なんだ」と確認していたということでしょうか。
志村さんが当時「曲が書けなかった」理由については知る由もありません。ただ、そのような本人曰く「どんよりどよどよ」の状態を抜け出したということは、言い換えれば「曲にするべきものが何かわかった」ということではないかと思います。そのきっかけになったのが、この曲を制作することで「こういうこと言える自分」に気づいたことなのだとしたら、「星降る夜になったら」の物語を当時の志村さんの姿に重ねて読むことも、一つの解釈としては可能であるように思えるのです。
そうであれば、「バス」の向かった先、「迎えに行く」対象は「自分が歌うべきもの」なのかもしれません。非常に抽象的な答えではありますが。
そして、そこに向かうためには自分が現実の中で前に進まなくてはならなかった。2007年にシングルとしてリリースされ、「星降る夜になったら」と同じく『TEENAGER』に収録された「若者のすべて」のような曲は、志村さんが「星降る夜になったら」の作詞を経たからこそ書けたものなのではないかとさえ思ってしまいます。
この推測は行き過ぎのような気がしますが、そこまで作者と密接な繋がりを想定しないとしても、「かつて叶えたかったもの、理想としていたもの、そういう夢を抱いていた自分」を思い出し、迎えに行こうとする物語として、この「星降る夜になったら」を聴くことはできると思います。
だからこそ、この曲はアルバム『TEENAGER』の最後から2曲目にあり、それに続くトリの「TEENAGER」で次のように締めくくられているのかもしれません。
TEENAGER TEENAGER 何年先だって
いつでも追いかけてたいのです
経験です 経験です どんな時も
ほろ苦い僕でいたいのです
(「TEENAGER」作詞・作曲:志村正彦)
長々とお話ししてしまいました。
バスの向かう先に何があるのか、結局のところはっきりした答えは出せません。
それでも、この「星降る夜になったら」というのは、歌詞の主人公に、あるいはその歌詞を書いた志村さんに、曲を作った金澤さんに、そしてそれを演奏するフジファブリックに、「ティーンエイジャー」の面影を見ることができる、そういう楽曲なのだと思います。だからこそこの曲は、今なお多くのファンから愛されているのではないかと思うのです。